昭和20年8月6日その時学生は

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旧広島市立第一高等女学校(現舟入高校)。
いとしき市女の乙女たちは、広島市内の学校では、先生、生徒合わせて最大の679名もの原爆の犠牲者を出したのです。

学徒動員で建物疎開に駆り出された1、2年生は、早朝から材木町(現在の平和公園南側)に集合、作業中に被爆し、ほとんど全員が死亡。

「教え子を水槽に入れ自らは掩いとなりて逝きし師のあり」

「萬歳の声をいまはに倒れゆきし清き乙女の赤き血の色」