広島城バードアイ

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戦国の勇・毛利元就の孫、毛利輝元がこの地を選び「島普請」とも呼ばれる難工事を乗り越え、川と海の中に作り上げた「広い島」。後に福島正則が現在の規模に完成させたという。その後浅野氏により江戸時代を経て、明治時代の日清戦争時には写真の天守閣のそばに大本営があった。お堀には今でも「小イワシ」が泳ぐことがあるというウワサ。ちなみに・・赤穂浪士で有名な大石内蔵助の妻子が討ち入り後「隠れる」ように暮らしていた場所(屋敷跡)が写真に写っています。いまでは誰でもその場へ行くことができますよ。おわかりになりますか?